2021年08月09日
8月9日の記事
木曽義昌直筆の原本です。
1行目 於桐原之内 百貫文所
2行目 可宛行候 幷林之郷可
3行目 預置候 納所等寄麗可
4行目 走廻 殊武具馬具等嗜
5行目 可稼者也 仍如件
年号 壬馬 七月甘七日 筆者 玄撤(花押)
宛先 小野内記助殿
(松本市入山辺の) 桐原のうち百貫文の所を宛がう
ならびに(松本市里山辺の)林之郷は預かり置く
納所等を奇麗にし、ことに武具・馬具等に力を入れ用意せよ。
壬午(みずのえうま) 天正10年7月27日 玄撤 (花押)
小野内記助殿
「私・玄撤(木曽義昌の出家後の号)は深志城を取り戻したら、小野内記助には
林之郷は預かり置くが、桐原のうち百貫文の所を俸給として与える。」
という内容の仮手形の文書とみられる。
このことから、木曽義昌は深志城主に返り咲くことをたくらんでいたと推察される。
この文書の内容は以上の通りである。
次回の学習会では、米のとれない木曽は年貢として山の木を土居と榑木という形で
収めていたことについて学習する予定です。(8月11日)
Posted by となりやのじゅん at 17:59│Comments(0)