2015年06月26日
本陣再生工事・20日間の進捗は
柱や大引・垂木に至るまで1本1本観て、腐った部分を取り除き穴埋めしたり継木したりと手間のかかる再生工事。遅遅として進まない現状です。しかし、この手間のかかるところを乗り越えると、「おっー、だいぶ進んだな」と実感できます。
今日は6月6日と6月26日の20日間で進んだ工事箇所を見てみたいと思います。
むかし、くぐり戸から入っていた通用口です。基礎ができ、屋根を支える柱どころか垂木までも悪いところは取り除き継木が終わったので、新しい材料を使って屋根部分まで一気に工事が進みました。
一階の庇部分も垂木・板・シートが張られ、大屋根も新しい下地板が張られました。
緑のシートが外されてきました。一階の庇や大屋根が新しい材ぶ拭かれていいます。壁に補強用の材が打たれています。大屋根の最上点の下に取り付けられた懸魚(げぎょ)はそのまま使われるようです。
一階の庇が切り込まれた部分と基礎に新しい大理石が敷かれた部分にこの家の玄関が作られます。60年前にはなかった玄関です。どのような玄関があつらえられるのか、ものすごく興味が湧いてきました。
2015年06月16日
木曽馬の里
御嶽山の麓に広がる開田高原。この一角に木曽馬の里はありました。昨年9月27日の御嶽山の爆発で多くの57人の犠牲者と6人の行方不明者がでました。痛ましい戦後最大の火山災害でした。
4月に御嶽山を見たくて鳥居峠に登りました。がこの時は残念ながらもやに隠れて見えませんでしたので、木曽馬の里入口で御嶽山の雄姿を拝んだときは改めて犠牲者を偲び、黙とうして牧場に入りました。

広い牧場内には何か所かに分かれ馬が放牧されていました。

ゆったりと草をはんでいる馬たち。
木曽馬は足が短く、気性がやさしく在来馬で昔から木曽では農耕馬として飼われてきました。農業の機械化により、だんだん飼われなくなり
絶滅寸前まで減ってしまいました。旧開田村では絶滅してはならないとここに木曽馬の牧場を作り、木曽馬の血を引く第3春山号の子孫を増やしてきました。今、この牧場には40頭あまりの木曽馬が飼われています。

大人になった馬が放たれている牧場です。
この隣には二組の親子が放たけている囲いがありました。お母さんのお乳をいっぱい飲み、腹いっぱいになった仔馬はのんびりねそべっています。
管理棟の前に尾崎喜八の歌碑が建っています。
「仔の馬の まつげ愛らし かきつばた」
詩人だった尾崎喜八が日本のチベットといわれた開田村を昭和27年6月29日に訪れた時に詠んだ句だそうです。


気性のやさしいと紹介しましたが、水飲み場近くでは激しく争っている2頭の馬もいました。望遠レンズにかえる暇もなかったので、写真にはおさめられませんでした。
馬がのんびりと草を食んでいるところを眺めていると、気持ちは和み、ゆったりとした気分になるのが不思議でした。
2015年06月07日
本陣再生・屋根工事始まる
6月に入り、屋根工事が始まりました。
屋根に職人がのり、トタンを切り、剥ぎ取る工事が始まりました。4日一日では終わらず次の5日にすべてが終わり、ブルーシートで覆われてしまいました。
大屋根の下の庇の工事は垂木をのせ、一部屋根板を打ち付けたままで止まっています。
通用口の工事もまだそれほど進んではいません。が、前の柱が建てられ上部に飾り彫りをした材が取り付けられていました。
( 佐久から発信していたとなりやのブログ内の吉丸屋さんの紹介でもこの飾り彫りのこと紹介しました。)
内部の様子も伺ってみました。
最後に前から見ると……。
全体をシートで被い、中でコツコツ材を削り、柱を補強し、壁を壊し、新しく作り変えなどしながら進められています。
一週間単位ぐらいで見ているのですが、工事は遅遅として進まず、完成までにはまだまだ長丁場の工事です。
これから、梅雨の時期を迎えます。暑い夏が待っています。尾崎建築のみなさん、身体を壊さないように気をつけ工事を進めてください。