2017年09月24日
贄川関所
木曽路の北は贄川(にえかわ)宿から始まります。この宿場の入り口にあるのが
贄川関所(番所)です。豊臣秀吉の時代に木曽の木材の監視のため、南の妻籠番所
とともにおかれました。
江戸幕府になり、福島関所がおかれるとその添番所としておかれ、「出女」や木材を
使った作った曲げ物や漆器などの抜け荷の取り締まりにあたりました。
中央に座敷があり、右手に出女の取し調べにあたった下番所と中間部屋があり、
左手にはさすまたやそでがらめなど取り押さえ用具を備えた上番所があります。
上番所の左手にはお勝手があり、今は写真や説明図などが展示されています。
一旦外に出て、事務室を回って降りると階下にも展示室があり、木曽11宿などに
関する資料が展示されています。
贄川関所を題材に版画にしました。
2017年09月23日
奈良井宿杉並木

1838年の火災の後、まげ物・漆器・木製品等の製造販売の経済力で復興を果たし、
今は観光で潤う奈良井宿。
この宿場の西側山手を少し登ったところに杉並木といわれている場所があります。
JR奈良井駅の西側を少し登った場所に旧中山道の道が残っています。
杉並木を少し歩くと南無阿弥陀仏と彫られた石碑が建った場所に二百体近い
如意輪観音・聖観音・千手観音などの石像が立ち並んでいます。
これは明治期に国道やJR中央西線の開削・新設に伴い奈良井宿近辺に建って
いた石像をここに集めて祀ったものです。
宿場を歩くのもいいのですが、すぐ近くにある旧道を歩いてみるのもいいものです。
2017年09月16日
山下家住宅

木造一部二階建て切り妻造りで、1865年から1866年(慶応元年・2年)の建築。
平成6年8月15日、長野県宝指定。
平成6年8月15日、長野県宝指定。
木曽町開田高原西野の山奥に建つ。
どうしてここに140坪もの建坪のある大住宅が?


入り口には3頭を飼育できる厩があります。入り口から奥の40畳の広間を見ると
なんと囲炉裏が2つ切られていました。
開田高原は標高1200mほど、冬には2メートルちかい積雪がある極寒地です。
山下家はここで馬を産み育て小作農に貸し出す大馬主だったのです。
トラクターのない時代、木曽馬はおとなしく従順な性格で最適な農耕馬だったのです。
小作の家で仔馬が産まれ、売られると馬主が七分・小作三分で売買金が配分された
山下家はここで馬を産み育て小作農に貸し出す大馬主だったのです。
トラクターのない時代、木曽馬はおとなしく従順な性格で最適な農耕馬だったのです。
小作の家で仔馬が産まれ、売られると馬主が七分・小作三分で売買金が配分された
のです。
300頭からの大馬主だった山下家の収入は多大だったわけです。
明治始めの廃藩置県で信濃・飛騨は筑摩県になったのですが、山下家の収入は
西野村の収入と肩を並べていたそうです。



300頭からの大馬主だった山下家の収入は多大だったわけです。
明治始めの廃藩置県で信濃・飛騨は筑摩県になったのですが、山下家の収入は
西野村の収入と肩を並べていたそうです。


馬小作台帳や金粉が使われた室町時代からの時代時代の馬の絵が貼られた屏風、
石井鶴三が戦後木曽馬復興の元となった神明号のブロンズ像等馬に関する貴重な
作品・資料が見られます。
石井鶴三が戦後木曽馬復興の元となった神明号のブロンズ像等馬に関する貴重な
作品・資料が見られます。
2017年09月15日
秋の開田高原

もうじき9月27日がやってきます。
王滝村の松原スポーツ公園では御嶽山噴火で犠牲になった方々の供養塔の
除幕式と追悼式が予定されています。
予定があり出席できませんので一足早く開田高原に行って御嶽山に迎い
黙とうをささげてきました。
秋の開田高原です。


地蔵トンネルを抜けるとすぐ開田高原、写真のような光景が目に入ってきます。
九蔵峠を越え西野に入ると御嶽山が目前に迫ってきます。


もうすぐ新そばの季節がやってきます。