2017年02月13日
木曽町民記者写真展・やまゆり荘

木曽町民記者写真展開催中
こんなお知らせが広報に載っていました。
同じ木曽町でも開田高原のやまゆり荘までは20数キロ。
しかも開田は1mをこす雪の中。
でもこんな機会でもなければと思い直し、開田高原まで
でかけました。

やまゆり荘はやはり雪の中。玄関前には車は止まっていませんが、
カメラを構えた後方には、名古屋・岡崎・岐阜等の県外ナンバーの
車がずらり。どうやら開田マイヤースキー場で滑って帰りに一風呂
浴びてというお客やら別荘の方が入浴に訪れるとか。
中に入ってまず、写真展を。



写真は開田高原、木曽駒高原の風景、収穫の様子、福島の木曽川にせり出した崖け屋づくりの家並み
等を5人の町民記者が撮ったものでした。
一枚、興味をそそられる写真~版画の題材向き~があり、雪が消えたら行ってみたいと思いました。
御嶽明神温泉やまゆり荘
木曽町開田高原西野6321-1211
☎0264-44-2346
写真展は2月27日まで(火曜日 定休日)
入浴料は450円です。
お風呂はナトリウム・カルシウム・マグネシウム・炭酸水素塩・硫黄塩温泉(低張性中性温泉)で
源泉温度は34.5℃だそうです。
色は薄い茶褐色ですごくあたたまります。すりきず・冷え性・皮膚乾燥症・関節の慢性的な痛み
などに効能があるそうです。
写真はとれませんでしたが、浴槽は大きく、露天風呂もあります。ただ冬季は雪が多く湯の温度
管理が十分にできないので、閉鎖中です。
2017年02月12日
中央東西線鐵路接續點

JR中央西線脇に立つ小さな標柱、白塗りの上に明治42年11月
と黒いペンキで書いてあります。
何の標柱でしょうか。
新宿~塩尻までが、中央東線。塩尻~名古屋までが中央西線。
この東と西から始まった中央本線の工事。明治42年11月、
この地点でレールが繋がったことを示す標柱です。
明治の大合併の折、宮ノ越村と原野村も合併し日義村が
誕生しました。市町村の名前を付ける時は合併する市町村
の一文字ずつとって付けるのが多いのですが、日義村は
違いました。この地で育った「朝日将軍木曽義仲」から
日と義をとって日義村と付けたのです。
合併して村役場を建てた場所が宮ノ越と原野の中間にある
この鉄路の接続地点でした。

旧国鉄で立てた標柱があまりにも小さいので、
村の有志が役場敷地内に大きな石碑を建てました。


石碑というより石柱には

宮ノ越・原野地区は中山道にしても鉄路にしてもどちらも中間に位置しています。



石碑というより石柱には
「中央東西線鐵路接續點」
と彫られています。
場所は宮ノ越~原野間の下島一里塚の土手を登った中央西線沿いです。
国道19号からは日義支所・日義公民館・日義保育園等の建物から、畑の
中の道を300mほど下ったところです。
一里塚には説明板もたっています。

宮ノ越・原野地区は中山道にしても鉄路にしてもどちらも中間に位置しています。
2017年02月11日
中山道中間の宿場と中間点

雪の宮ノ越本陣です。よく見ると手前真ん中に小さな
御影石の石柱が建っています。
(宮ノ越本陣はただいまは冬の休館中です。)


左側に「京へ 68里21町」
それでは中間点の67里28町はどこにあるのでしょうか。 (1里=36町)


JR原野駅から歩いて4~5分、元原集落の左側に石柱と案内板
が建っています。東には国道19号へつながる道とその向こうには
木曽駒ヶ岳の連山が見えます。道を通って国道に出ると、日義道の駅
があります。

この建物の右側に行ってみました。道の駅ができた時、
中山道中間の道の駅をアピールしようとして、さらに大きな
中山道東西中間之地を示す石柱が建てられました。


こんな石柱を見つけて中山道を歩くのも楽しいでしょうね。


拡大してみると正面に「宮ノ越宿 本陣」
左側に「京へ 68里21町」
右側に「江戸へ66里35町」 と刻されています。
江戸からも京都からもほぼ中間の宿場だということがわかります。
それでは中間点の67里28町はどこにあるのでしょうか。 (1里=36町)
福島宿へ向かって1里22町を歩くと、ありました。ありました。


JR原野駅から歩いて4~5分、元原集落の左側に石柱と案内板
が建っています。東には国道19号へつながる道とその向こうには
木曽駒ヶ岳の連山が見えます。道を通って国道に出ると、日義道の駅
があります。

この建物の右側に行ってみました。道の駅ができた時、
中山道中間の道の駅をアピールしようとして、さらに大きな
中山道東西中間之地を示す石柱が建てられました。


